東京で消耗してみた話
昨日、久しぶりに都内へ行った帰りの電車。
お供は「まだ東京で消耗してるの?」です。
イケダハヤトさんの本ね。
完膚なきまでに東京にダメ出しをしていて、
アンチ都内の自分にはうんうんうなずける本でした。
半年前に3か月間だけ、品川で派遣社員やりました。
週3日ぐらいで、15万ぐらいもらえたら、やりたいことやれるかなと。
結論から言うと、大失敗。いや、ダメだということがわかったからよかった。
その時は、ほんとつらかった。
なにがつらいって、まずは会社までの道のり。
満員の通勤電車で、訳のわからない男女のケンカをみたり、
(満員電車なのに、寄らないで!って怒る女も変だし、
お前みたいなのに寄らねえ!って返すおっさんもどうかと思う。)
ぎゅうぎゅうの電車に後ろ向きに入って、無理やり乗り込む人を見たり
(ばんざいしてドアの枠をつかんで自分を押し込む、あのポーズ…無表情でやられるとほんとに怖いんです)
駅に着いたら、我先に出たり入ったり、まだ降りてるのに入ってきたり。
改札出て歩いてるときなんて、何百人が同じ方向に歩いて、誰一人楽しそうじゃない。
それまで病院いらずの健康体だったのに、通い始めて一週間で高熱が出たり。
ああ、これが社会のシステムに組み込まれてる感覚か…って。
病んでるなあ、こんな暮らししてたら自分も病んでしまう、と本気で感じました。
確かにもらえるお金はいいけれど、生きた心地がしない毎日。
(そうはいっても通勤費もばかにならない…)
これは人の暮らしじゃないなと。
あの暮らしを続けられる人を本気で尊敬します。そして、心配します。
会社でのお昼休みも苦痛でした。
よく派遣のサイトとかで、「社食もあって財布にやさしい」とかうたってるけど、あれも変だ。
みんな一斉に食堂に行って、それほど美味しくもないものを並んで買って、
味気ないテーブルに座って、かき込む感じ。
確かに外で食べるより安いけど、
職場の人と話をする機会、と捉えれば必要なのかもしれないけれど。
やっぱり何か組み込まれている感じ。
自分には合わない。と思って、お昼は外に行くようになりました。
どこの職場に行ってもそうなってることを考えると、自分には集団行動が向いていないのかもしれない。
外といっても、外食するわけではなく(めちゃめちゃ高いので)、
ぶらぶら歩いて、コンビニでパン買って、景色が楽しめるところ(公園とか川沿いとか)で座って食べる。
それだけで十分。っていうかそれが必要。
同じビルの中に朝から晩まで押し込まれているのは、体と心によくない。
で、お昼が終わったら、また夕方まで仕事。
18時過ぎに終わって帰ると、電車は朝ほど混んでなくていいけれど、
家に着いたらぐったり。
もう何もやる気力が残ってない…。
往復3時間かけて、そんな一日を過ごしている意味って何?お金?
それって人生で一番大事な『時間』を無駄にしている。
そのことに気付くのに、そう時間はかかりませんでした。
3か月後、そんな東京での暮らしは早々と見切りをつけて、
いまは、埼玉の郊外の団地中心に仕事しています。
どんな暮らしかは、おいおい紹介していきますが、良かった、の一言。
お金は相変わらず乏しいけど、自分のやりたいことが前に進んでいる感じ。
新しい発想も生まれるし、そこからの展開にもわくわくできる。
東京で消耗し続けてたら、きっとやりたいこともうまく進まず、気持ちもしぼんでいってたかも。
そう考えると、ほんと恐ろしい。
東京が合う人もいるかもしれないけど、
あれ?なんか違う?と思ったら、その違うことに慣れきってしまう前に抜け出すことをおすすめします。
慣れたころには、もう抜け出すことも考えられなくなってしまいます。
そうなってしまう前に、自分の心の声に耳を傾けましょう。